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ニンニク多食の文化
キムチに欠かせないのがこのニンニク。
しかし意外になぞが多いのもこのニンニク。
あなたはどのくらい知ってます?ニンニクの事。
きっと驚きの真実てんこもりです♪
 
★ニンニクのルーツ
★韓国の神話とニンニク
★仏教とニンニク  
 
 

■ニンニクのルーツ

 
朝鮮半島を代表する食品材料から、ニンニクをはずす事はできない。
それほど民族の食生活にニンニクは深くかかわっている。
日本では朝鮮・韓国料理はニンニクとトウガラシを使うのが、その特徴だと受け取られる事が多い。
このような考え方があたっているかは別として、伝統的な和式料理と比較した場合、朝鮮・韓国料理にはニンニクが多用され、日本の和式料理にはほとんど使われないのは真実だった。
 

~~エジプト、ギリシャの食用が記録上最古~~

 
 近年、日本でもニンニクは盛んに利用されるようになり、健康食品の一つとしておおいに注目され、消費量が伸びている。ようやく日本も消費国になりつつある。
もちろん世界の料理では、すでにニンニクは香辛料、食品として欠かす事のできないものとなっている。
 
ニンニクのルーツについては諸説が有る。
[『栽培植物と農耕の起源』(中尾佐助、岩波書房)]
元来、栽培植物の原産地がどこであるかを決めるには、それに良く似た近縁の野生種を探索し、それらが多く見つかった所を、その栽培植物の原産地とする。
ところがニンニクは、現在食用されている栽培種のほかに、類似している野生種が見つかっていないのである。
旧ソ連時代に有名な遺伝学研究者、バビロフは国家的事業として、あらゆる栽培植物の品種、遺伝子を集める仕事をした。
多くの源種が見つかり、世界の栽培植物の起源研究に大いに貢献した。
ところがどこの研究調査でも、ニンニクの野生原種は発見されずに終わる。
その結果、バビロフは推定として、中央アジア付近がその原産地ではないかと主張した。
これはあくまで推論で、その後に別な説も出される。
ニンニクはあまり寒いところでは栽培できないこと、記録として最も早く食されたのが、エジプト、ギリシャなどの地中海性気候の温暖な地方である事から、このあたりが原産地ではないかとの説も、無視できないものになっている。
このニンニク、朝鮮半島へは古代に中国大陸を経由して伝わる。
新大陸には16世紀、アメリカには18世紀後半になって知られるようになる。
 
 
 

■韓国の神話とニンニク

 
建国の神話と大蒜
エジプトのピラミッド建設労働者たちが、ニンニクやタマネギを食べて体力を作って、あの壮大なピラミッドを建てたことは良く知られている。
 

~~ピラミッド建設労働者はニンニクで体力を作る~~

 
ニンニク
6千年前のピラミッドの壁画にその事がかかれているからである。
朝鮮にも建国にまつわる神話がある。これを「壇君神話」という。
この神話の事を記した『三国遺事』(13世紀)によれば、古朝鮮つまり壇君朝鮮(B.C2333)時代の話しが出てくる。
熊と虎が一つの洞窟の中で生活しながら、天帝の子である恒雄に、「どうか人間にしてください」と願いでたので、ヨモギ一束とニンニク20個を与え、「おまえたちがこれを食べて百日間太陽にあたらなければ人間になれるだろう」と言い渡す。
熊は言われた通りにしたので21日目に女性(熊女)になった。
虎は言われた通りにしなかったので人にはなれなかった。
こうして神話の中にニンニクが登場するわけである。
神話の成立年代は、いまから約4千3百年前ということになるが、これには異論が多い。
ところが1990年代になってから、北朝鮮の歴史研究家たちが、この神話に出てくる壇君の墓を確認したと発表したのである。
4千数百年前が本当がどうかの問題は別として、古くから伝わる国が作られた話しの中にニンニクが出てくると言うのは、かなり古くから、身近にあったものと考えてよいだろう。
ニンニクの事を現在朝鮮語では「大蒜」、「蒜」または「葫」とあらわしている。
『三国遺事』の記述では「蒜」として出てくる。
『三国史記』(12世紀)には「立秋後の亥の日に蒜園で後農祭りをとり行う」とある。
つまり蒜園があるということになる。栽培されていたという事だろう。
のちの『東医宝鑑』では大蒜をニンニク、小蒜をラッキョウ、野蒜をノビルと区別している。
 

~~神話の中のニンニクはノビルの説が有力~~

 
果たして神話の中の蒜は中央アジア由来の栽培種だったのだろうか。
これについては韓国の有名な食文化科学者である故李盛雨氏は著書の『韓国食文化史』(教文社 1984年)で、栽培種のニンニクではなく、小蒜、野蒜の類でノビルではないかとしている。
神話の成立年代が言われているとおりだとすれば、栽培種がニンニクだったとすれば、逆に神話の成立年代があやしいという事になろう。
ノビルもニンニクの同属のアリウムなので、これを利用していた事は、今日のニンニクの多用につながることは、間違いない。
ところで漢字で示すと蒜(サン)と呼ぶのに、どうしてマヌルと呼ぶようになったのか。
『名物紀略』(1840年頃)ではその語源について、ニンニクの辛さが強烈なので、猛辛(メンラル)と呼んだ。
やがてこれが、訛ってマンラルにかわり、マヌルになったとする。
もうひとつ『東言考略』(1908年頃)では「蒜をマヌルとするのは、馬蒜(マラル)だからだ」としている。
古い時代から、強烈な匂いのするニンニクを、生活の中にしっかり取り入れて、その価値を生かした生活文化を作り上げたといえるだろう。
 
 
 

■仏教とニンニク

 
朝鮮半島に仏教が伝わりはじめるのは4世紀ごろ、六世紀には当時の高句麗、百済、新羅の三国が、ともに仏教を国教とする。
朝鮮半島は仏教を信じる人によって、政治が執り行われる。
食生活に影響が及ぶ。
仏教の戒律による殺生禁止、つまり肉食禁止がそれである。
これは詳しくは後で取り上げている。
いまひとつは、「不許酒入山門」の考え方で葷酒(くんしゅ)、つまり臭みの強いにんにく、ネギ類と酒を山門(寺)内に持ち込む事を不許にしたことである。
16世紀に眠の国の李時珍が編んだ『本草鋼目』には、「蒜(ニンニク)を生で食すれば恚(イ)(恨みと怒り)を発し、煮て食すれば淫(みだらな心)を発するので、性霊を損する事が多く、仏教・道教いずれも葷(ニンニク臭)を禁じている」というくだりがある。
ニンニクが体力増強と強壮作用があることは古くから知られていた。
そこで仏教や道教の修行僧の堕落と迷いを防ぐために酒とニンニクは山門に入る事を禁じたわけである。
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